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2015_04
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(Sun)00:15

20150410 Fri. 演劇集団アクト青山春公演 月の宴「ヘッダ・ガーブレル」

月の宴「ヘッダ・ガーブレル」
2015年4月7日(火)~12日(日)
4月10日(金)14:00拝見@千歳船橋 APOC theater
新人公演『桜の園』2,500
ヘッダ・ガーブレル3,900
セット      5,500
ペア割
新人公演『桜の園』4,500
ヘッダ・ガーブレル7,000
セット 10,000
自由席(0円 プレゼントチケット)

ヘッダ・ガブリエル
作:ヘンリック・イプセン
演出:小西優司
演出助手:水野駿
音響制作:佐藤剛
楽曲制作:仲条幸一
音響オペ:水野駿
照明:松村剛(ゴーライティングオフィス)
制作:春公演実行委員会/Jステージ
フライヤー:桃木正尚/machico/若林裕司
パンフレット:若林裕司/小西優司/宇土よしみ
ホームページ 高木智也(オフィスT2)
撮影 酒井宏和(自由が丘スタジオ)
大道具 演劇集団アクト青山
小道具 演劇集団アクト青山
出演:
渋谷結香(ユリヤーネ・テスマン)
中西彩乃(ベルテ)
小西優司(ヨルゲン・テスマン)
福井美沙葵(ヘッダ)
岩崎友香(エルヴステッド夫人)
千葉滋(ブラック判事)
菊地正仁(エイレルト・レーヴボルグ)

チケットを頂いて、思いがけないことだが、小田急線千歳船橋まで出かけた。劇場はAPOCシアターという、駅からさほど遠くない喫茶店の2階。上がって驚いた。壁が六角形の空間で、その中央に四角いステージが置かれ、それを取り囲むように三方に上・下段の客用椅子。数えて41~2脚(満席)。

四角いステージの四方に、所謂下手側手前に主人公ヘッダの夫ヨルゲン・テスマンの書斎用デスクと椅子。机の上は書籍が散らばって、机の片隅に小さな地球儀。椅子の上には、旅行から帰って来たばかりのまだ片づけられていない旅行用かばんが無造作に置かれ、背もたれには彼のジャケットがかかっているという芸の細かさ。上手側手前に黒い四角いソファ2つと、水差しとコップが並べられた小さなテーブル。後方下手側に椅子一脚、上手側に長いテーブルと椅子。そステージのバックに階段があり、まるで二階に上がってくるかのように、登場人物はその階段を使って出入りする。また喫茶店から上ってくる階段からの入り口も、入退場に使っている。

と、舞台の作りが面白いのとユニークなので、いつもより詳細を記しておいた。

イプセンのこの有名な芝居は、タイトルと内容を知識として持ってはいても、実際に観るのは、何を隠そう、初めて。昨年、山の手事情社でこの作品が取り上げられたし、今年の9月には俳優座の稽古場で上演されるというから、明治時代平塚らいちょうなどにも劇論を書かせた有名なレパートリーとして、この日本でも上演回数の多いイプセンの代表作。が、いかんせん、現代の観客からすると、いささか古めかしく思えて、ヘッダの心の推移が、どうにも理解できないのである。1891年の初演当時に、その異常な性格と行動が理解されずに悪評の嵐であった、と聞く主人公ヘッダ・ガブラーのいやらしさがばかり目立って、どうにも好きになれなかったことを正直に言っておきたい。

「ヘッダは美しく魅力的。暇で退屈だが自分では何をしたらいいか分からない。そして何もしない。でも他人の成功には平静でいられない。強そうで臆病、望みが高いが平凡。気位が高いくせに嫉妬深い。」~カバー折り返しより。

おそらくガーブレル将軍の娘として、自由気ままに、美しいだけに多くの信奉者に取り囲まれて、気位い高く生きて来た娘が、19世紀という時代に、一人自由に生きる勇気を持てない、思うような英雄的な男も現れない、というところで、ま、この辺で、と結婚したのが大きな間違い。結婚しても夫のヨルゲン・テスマン夫人としての立ち位置を実感することも、他に示すこともできない。最後まで、ヘッダ・ガーブレルのままだったというのが、よくその女性の意識と人となりを表しているのではないか。

ヘッダの福井美沙葵は、自分でもどうしようもないいらだちを抱えた、未成熟な女性をよく演じていた。時には涙すら浮かべて、時には声を荒げ、エキセントリックなまでにその時々の苦悩を表現しようとしていたが、手の届くような距離のところにいて、なかなかその思いが伝わって来ないまどろこしさを感じたのも事実である。また、ヘッダが長い新婚旅行から帰ってきて、自殺するまでにたった2日間の出来事を描いた芝居だが、最初は遅い目覚めの後ということであるから許された部屋着が、そのあともずっと同じ部屋着のまま、というのも、どうかと思うのだが。

<この稿続く>


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コメント

ヘッダという女性

T.S Eliot様から又次のようなコメントを頂きました。
『・・・・・思うような英雄的な男も現れない、というところで、ま、この辺で、と結婚したのが大きな間違い。・・・・』この”季節のはざま”様の評論を読む限り、この主人公は『決して古く』はない、現代人そのものですよ。こんな人で東京はいっぱいですよ。私も観たかった。でもハザマさんの筆力すごいから自分で観てもそこまで読み取れないよね。

そうですよね、私も書きながら、決して古くはないな、と思い始めていたところです。ただ違うのは、そう思っても自立する手段もなく、自由になろうとすると、「人形の家」のノラになるしかないような時代、という枠組みの中でのジレンマだと思ったのです。それにしても、いやな女です。「足袋つぐやノラともならず教師妻」 の杉田久女と似ています。

2015/04/12 (Sun) 23:47 | andromache | 編集 | 返信

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