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2015_06
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(Sun)20:58

20150605 Fri. 劇団1980第61回公演 短編東西「熊 / 生きてゐる小平次」

劇団1980第61回公演 短編東西「熊/生きてゐる小平次」
■公演日程 2015年6月5日(金)~13日(土)
■料金 前売3,000円 /当日3,300円/学生割引 2,000円
■時間 50分/休憩15分/50分
■観劇日 6月5日(金)19時拝見@下高井戸HTS

熊 生きている小平次
《一幕の笑劇》と《三幕構成の短編》
男二人と女一人、一人二役、和洋混合、短編作品二本立て

「熊」
作:アントン・チェーホフ
訳:牧原純

「生きてゐる小平次」
作:鈴木泉三郎

演出:山本隆世
照明:増子顕一(SLS)
音響:齋藤美佐男(TEO)
衣裳・美術アドヴァイザー:佐々波雅子
殺陣指導:佐藤正行
舞台監督:翁長諭
制作:柴田義之
企画・製作:劇団1980

出演: 藤川一歩/ 小出康統/ 水井ちあき

面白い趣向である。洋のチェーホフの短編と、江戸ものの「怪談もの」を一挙に、同じ俳優が演じるというのは、何という大大それたことを計画したものであろうか。ましてや、「生きてゐる小平次」などという、歌舞伎では取り上げられることもあるが、小演劇では殆ど上演の記録はないのでは? 「珍しいものをおやりになりますね」と雨の受付で言ったら、「そうなんですよ。ウチの演出家がこだわりを持ってまして」と受付嬢。

中川信夫の映画は観ていない。ましてや、もっと古い中村扇雀(現・坂田藤十郎)・芥川比呂志・八千草薫の映画(1957 青柳信雄監督)も観ていない。落語も聞いていない。そもそも「怪談もの」は好きではないから、わずかに歌舞伎で一度観ただけの「生きてゐる小平次」を小演劇の人たちがどう上演するのか興味をもったので、わざわざ下高井戸くんだりまで出かけて拝見した。チェーホフの「熊」は朗読で読んだきり。

<チェーホフと鈴木泉三郎、いずれも男女の恋愛譚>と、劇団用意のチラシ。<おおよそハチマルらしからぬ演目>だって。で、始めて知ったのだが、この劇団の主宰者で、指導者であった藤田傳氏。残念ながら、今年の3月に81歳で逝去され、5月に送る会が持たれたばかり。<故今村昌平監督の助監督などを務め、横浜放送映画専門学院の教え子らと80年に「劇団1980」を結成。劇作家・演出家として活躍、映画監督も務めた。2月中旬まで4月の劇団公演の演出を手がけていた>との新聞訃報。

様々な劇団の歴史の上に、今回の公演、これが結構面白かったのだ。下高井戸の本拠地のステージは、地下にある空間。舞台も狭く、客席も40席ほど。ステージと客席の間に、隅に積み上げてある座布団を敷けば、50人ぐらいは入るかもしれない、そんな小さな空間であった。狭いステージを工夫して、帝政ロシア時代の夫を亡くした未亡人が閉じこもって暮らす貴族の屋敷の一室が再現される。「再現される」といっても、そこはそれ、小演劇の懐状況を考えれば、テーブルセットが、その辺でよく見かける安っぽいそれだとしても、気にしてはいけない。観客は持てる想像力を駆使して、豪華なソファをそこに置いてみるのだ。それなりに舞台美術もよく考えられていて、背景の壁には、ロシア正教の十字架が飾ってあったりする。

貴族が没落に向かう時代、夫に死なれて未亡人となったポポーヴァが屋敷に住み、貞操堅固な生活を続けていて、執事のルカーという老人(といっても、小出泰統はどうみても老人には見えない)に、そんなことではいけないだの、もっと外に出るべきだのと言われているが、頑固なポポーヴァは一切耳を貸さない。

そこに生前のポポーヴァの夫に金を貸したと言うスミルノフが現われる。まるで熊のように大きな男で、ガーガーと大声で話をし、わめくのである。「生前お宅のご主人に貸していた金を本日お返し願いたい!」と。彼はポポーヴァから金を回収し、それをその日のうちにまた誰かにわたす必要がある、というのだ。其の切羽詰まった様子が、藤川一歩が目をむいて大仰に演じると、どこかおかしみが出てきて、容易に芝居の世界に入っていけるのだ。ポポーヴァを演じる水井ちあきも、小柄なカチ栗のように元気のいい女性で、目に力が入り、ギラギラと相手を睨みつけ、胸を反り、昂然と顔を上げて、大男のスミルノフに対峙する様は、それだけで喜劇である。生前の夫の行状に対する怒りがふつふつとわき起こってきて、目をむくところなんて、やっぱりおかしい。

激高して、両者にらみ合い、今にもつかみかからんばかりの男女が、最後には、一目ぼれ的状況になってしまうというのが、男女の仲の不思議さで、その前の決闘騒ぎなど、その前哨戦にすぎない、とまで思わせてしまう。大体男性が女性に決闘を申し込むなど、ツルゲーネフの「オネーギン」の影響としか思えない。最後はその安っぽいテーブルの上での抱擁で終わるのだが、驚くのは、この3人が、15分の休憩の後には、江戸時代の市井の徒に扮し、いかにも「新内節」が似合うような世界に観客をいざなってくれるということだ。

狭いステージに猪牙舟を浮かべ、今はしがない緞帳芝居の役者にすぎない小幡小平次と囃子方の一人にすぎない太九郎の二人が、釣りをしている場面から始まる。喧躁な前芝居から、急に静寂の江戸の世界に転じるのが、小気味いいほどだ。映画では扇雀(現・坂田藤十郎)や藤間文彦が演じた小平次を、「熊」では年寄りのルカーを演じた小出康統が、また、芥川比呂志や石橋正次が演じた太久郎を、「熊」のスミルノフ役の藤川一歩が演じた。この大柄な藤川一歩が、狭い、小さな猪牙舟の上で、釣りをしている様や、自分の女房をめぐる愛憎の果てに、相棒である小平次を殴り殺して沼に沈めてしまう殺しの場面への急展開など、生世話物の雰囲気をよく表現して、秀逸。

二人の男の間で、どちらともつかず、思わせぶりな調子でいる「おちか」という女、二人の男の幼馴染という設定だが、映画では八千草薫と宮下順子が演じたというおちかを、「熊」でポポーヴァを演じた水井ちあきが演じていたが、これはちょっと無理ですよね。宮下順子風に、伝法で、投げやりな女というよりは、あるいは八千草薫風に、楚々として、男に頼るしかない女というよりは、ポポーヴァと同じ勝気さのみが先走ってしまって、どうにも色気が感じられない。世話物の女の風情が、ない。

小平次、という厄介な男は、よくわからないのだが、殺されても、殺されても、どうして死なないのか、本当は死んでいて、幽霊となって彼らに取りついているのか、全くもってよく分からないのだが。ボロボロの半纏を着て、青白いメイクをほどこし、小平次の小出康統、健闘。


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コメント

今朝、またじっくり読み直してみて、良く腑に落ちました。本当に見ているように舞台の情景が浮かんで来ました。チューホフと江戸世話物が不思議なリンク。どちらかというと真反対な設定。あまり合ってなかったという、「おちか」の女優さんもなんだか彷彿として来ました。悪女と聖女の間、難しい役柄を設定した?割には演じきれなかったのでしょうか?

2015/06/10 (Wed) 08:31 | ミミ | 編集 | 返信

To ミミさん

mimiさん、を読んで頂いてありがとうございます。とてもうれしい。

「おちか」の女優さんは、余りにぴちぴちとお元気で、現代の女子学生風。江戸時代の周囲に流される女の雰囲気とはちょっと異質のもの?でした。これはしかし、しようがないこと。あの時代の空気を立ち上らせるには、文学座の女優を連れてくるしかしようがないのでは、と思いますね。

今週は田中正造を扱った文学座「明治の柩」を観に行きます。戦後70年、劇団は自分達の反戦の思いを作品に乗せて、力強くアピールしているようです。

ではまた。

2015/06/10 (Wed) 11:22 | andromache | 編集 | 返信

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